トーキョー句碑:葛飾区柴又の水原秋桜子
近所に水原秋桜子の句碑があることが分かり見に行ってきました。
柴又帝釈天近くの江戸川河川敷、矢切の渡しへ通じる砂利道の脇にひっそりと佇む句碑。
割と目立つ位置にあると思うのですが足を止める人はほとんどいません。
句碑の脇にあるグラウンドでは下町の子どもたちが大きな声を上げて野球に打ち込んでいました。
【説明文】
水原秋桜子先生(明治二十五年~昭和五十六年)の作
先生は東京神田の生まれ。はじめ高浜虚子に師事したが、やがて「ホトトギス」を去り、昭和六年から「馬酔木」を主宰した。
葛飾の自然をこよなく愛し、しばしば訪れて世に「葛飾調」といわれる多くの作品を残した。
この句は大正十五年の作。対岸の市川真間あたりの風景をよんだもので「葛飾調」の代表作のひとつ。その頃の水郷葛飾の春の田園の美しさを流麗典雅の響きでうたっている。
昭和六十二年三月
葛飾区長 小日向毅夫