自由律俳句カフェ

自由律俳人さいとうこうによるブログです。

ブログ引っ越しします!

2020年12月31日をもちまして、はてなブログでの活動を終了し、2021年1月からg.o.a.tブログへ引っ越しいたします。
これまで「自由律俳句カフェ」をお読みいただきありがとうございました。
新ブログでもどうぞよろしくお願いいたします!

新ブログはこちらです!
https://freeversehaiku.goat.me

『自由律の風』創刊号

先日、自由律俳句協会初の機関誌『自由律の風』が家に届きました。

俳協にとって念願の機関誌です。
私は直接編集に携わっておりませんが、封筒から出し手に取った時は感動しました。
2号、3号、4号と着実に末永く発刊が続いて欲しいものです。

内容は「巻頭言」から始まり「個人詠草集」、「結社・句会紹介」、「五句鑑賞」、「雑感」、「新刊紹介」などと続いていきます。

「五句鑑賞」では、私も句評を担当しています。

佐瀬会長の「巻頭言」から一部抜粋し紹介いたします。

「~自由律俳句界をみれば、俳句人口の減少先細りの共通の問題を抱えている最中にあって、少人数の結社が乱立し自会ファーストを固持しています。十年先を考えれば協調の無いどの会も、正常な活動は望めない惨憺たる結果になることは目に見えています。~協会はお手伝いの精神で各会が独自性を維持し隆盛することを願っています。参加している各会の長所知恵を出し合って、各会がもつ悩みや問題の解決に幾分かのお手伝いまた橋渡しができればと考えています。~」

自由律俳句界はどの会も高齢化の波にさらされています。
少しでも多くの人に自由律俳句へ関心をもってもらえるよう、私も頑張りたいと思っています。

 


『自由律の風』創刊号

海紅令和二年十一月号

先日届いた海紅十一月号。
特に感動した句はこちらです。

繰り返しくりかえし夏の終わり告げる波   渥美ふみ
→リフレインが効いています。
幾重にも寄せては返す波の音が心に訴えかけます、過ぎゆく夏の思い出とともに。

またしても俺の絵になつてゆく   空心菜
→句も同じでしょう。
絵も写真も句も結局は作者の魂を投影したものだと教えてくれています。
それが芸術の真理ではないでしょうか。

ぐみの実のマゼンタ昨晩の口喧嘩   杉本ゆきこ
→昨晩の口喧嘩がずっと心に引っかかっている。
ふと目にしたぐみの実の鮮やかなマゼンタが作者の胸に去来します。
そこに詩が生まれました。

独り居に眼閉じ聞く蝉しぐれ   中塚銀太
→寂しさも孤独もすべて受け入れて、独り居に眼を閉じれば響く蝉しぐれ
過ぎゆく夏の風物詩は流れゆく心の機微を表しているようです。

ボロボロのピカチュウが笑う黒シャツ   無一
→笑う「ボロボロのピカチュウ」の何とも言えない不気味さ。
この黒シャツを着ているのは明らかに子供ではないような気さえします。
句がまとう狂気にも似たオーラに惹かれました。

「青空」と「青い空」

先日、海紅の横浜立弓庵句会に参座した際のこと。

田中耕司さんが「青空」と「青い空」の違いについてお話しされました。
曰く、海紅の伝統的な考え方のひとつで、

「青空」→一般的、普遍的な意味での青空
「青い空」→自分で確認した目の前に広がる青空

とのこと。
何気なく言葉を使うのではなく、全ての言葉に神経を尖らせて句作をすべし、と。

4文字と5文字では律も変わりますし、意味も微妙に異なります。
一見同じに見えても使い方は全然違う。
(「秋風」と「秋の風」などもそうでしょう)

句作の現場に根差した貴重なお話、大変勉強になりました。

海紅令和二年十月号

先日届いた海紅十月号。
特に感動した句はこちらです。

たいした事もしない朝のエプロン   渥美ゆかり
→たったの17音、この一行だけでストーリーが浮かんできます。
毎朝エプロンを来て台所に立つのが作者の日課なのでしょう。
嬉しい日も悲しい日も何年何十年と毎日台所に立つ作者の背中がそこにあります。

鴨が潜り静か   笠原マヒト
→短律句が決まっています。
鴨が池に潜った後に訪れる一瞬の静寂を見事に切り取っています。

ユリの花直角に咲き話しかけ   千田光子
→直角に咲く、とはどういう状態でしょうか。
花壇の形でしょうか、あるいは作者にはそう見えたのでしょうか。
いずれにせよ何だか心持がよい、海紅俳句の美質を見たようです。

ノボタンの濃い紫だから文月   田中耕司
→「文月」が効いています。七月じゃぁないですよね。
濃い紫はやはり日本的です。「だから」に説得感があるのです。


夏草はびこる塞がれた仏の道   原鈴子
→お寺へ続く山道でしょう。
夏草がはびこり塞がれてしまった一本道。
この無常観にこそ仏の教えを感じざるを得ません。


今日のところはこの辺で。
あなたが佳き句に出会わんことを…。

トーキョー句碑:葛飾区柴又の水原秋桜子

近所に水原秋桜子の句碑があることが分かり見に行ってきました。

柴又帝釈天近くの江戸川河川敷、矢切の渡しへ通じる砂利道の脇にひっそりと佇む句碑。
割と目立つ位置にあると思うのですが足を止める人はほとんどいません。
句碑の脇にあるグラウンドでは下町の子どもたちが大きな声を上げて野球に打ち込んでいました。


葛飾や桃の籬も水田べり   水原秋桜子


【説明文】
水原秋桜子先生(明治二十五年~昭和五十六年)の作
先生は東京神田の生まれ。はじめ高浜虚子に師事したが、やがて「ホトトギス」を去り、昭和六年から「馬酔木」を主宰した。
葛飾の自然をこよなく愛し、しばしば訪れて世に「葛飾調」といわれる多くの作品を残した。
この句は大正十五年の作。対岸の市川真間あたりの風景をよんだもので「葛飾調」の代表作のひとつ。その頃の水郷葛飾の春の田園の美しさを流麗典雅の響きでうたっている。

昭和六十二年三月
葛飾区長 小日向毅夫

 

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遠景

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隣は野球のグラウンド

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正面から

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句碑

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説明文







 

海紅令和二年九月号

先日届いた海紅九月号。
私が特に感動した句はこちらです。


うつむく日の向日葵は大きい   伊藤 三枝
→俯いて歩く日、ふと気づいた向日葵の影。
見上げるといつもの向日葵がその日はやけに大きく見えたのでしょう。
向日葵のどっしりとした存在感が伝わってきました。

ごめんください吸い込む夏畳   小早川 すすむ
→「夏畳」にやられました。畳の匂いって独特ですよね。私は大好きです。
玄関に漂う和室の畳の匂いと夏の取り合わせが爽やかです。

誰の傘濡れすぎている   杉本 ゆきこ
→遠方から来た人の傘でしょうか。ただ濡れているのではなく「濡れすぎている」まで踏み込む感性。
何気ない光景の中にも詩を見つける作者の観察眼に感心してしまいます。

浴衣たたむ手首の白いとこが夏   田中 耕司
→「浴衣>たたむ>白い手首」と徐々に焦点を絞っていき、結句に「夏」とズバッと言い切ってしまう。
前半に焦点を絞り込んだことによって、結句の「夏」という広がりのある一語が活きます。
海紅の神髄を見たようです。

ツバメ弧を描き雨雲唸る   森 直弥
→上句のツバメの軽快な様子から結句の「唸る」の重々しさの対比が見事です。
意外と詠みにくい情景かと思いましたが、平明な言葉で端的に表現されており上手いと思いました。


今日のところはこの辺で。
あなたが佳き句に出会わんことを…。

 

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海紅令和二年九月号